地をはう大学院生→ポスドク→国立大特任教員→私大専任教員

はてなダイアリーから引っ越ししてきました。昔の記録です。

すこしだけ転進

昔から不定期に続けていたこのブログだけど、4月に身分が変わったことで題名だけ変えたものの、そのままずいぶんご無沙汰してしまった。というわけで私ごとだけど久々の、この題名で初のエントリーを記入してみる。

いまはポスドクというある程度自由の利く生活が始まって半年近く経ったところなのだけど、ここで少しばかり転進をすることになりそうだ。先日、幸運にも非常勤講師の話をいただき、前からずっとしてみたかった教養科目としての生物学を担当させてもらえることになった。それは自分のリソースの一部を研究から教育に振り分ける、ということで、ある意味、戦略の転換を伴う話でもある。

もちろんそれによって研究に割ける時間はかなり減少するだろうし、これから純粋な研究業績で戦っていくつもりなら必ずしも有利には働かない。だが現在周りを見るに、「研究で生きていく」戦略をとっている若手はかなり凄い面々がそろっている。このところ文科省の人やお偉い教授の方々が「優秀な人材が博士課程に進学しなくなっている」みたいなことを言っていたりするが、周りを見るとむしろ逆だ。業績だけをみたら、一昔前なら一気に助教授(准教授)になっていたかもしれないクラスの人材がポスドククラスでごろごろしている。

そんな中で自分の立ち位置を考えてみると、いまいち心もとない。当然ながら分野を限定すれば地球上での第一人者なのだろうし、それは研究者として当たり前のことだけど、すこし分野を広げればどうか。国内でのポスト競争という枠で考えたら、上にいる人間が何人も思いつく。少なくとも、顕在化している業績で他人からそう評価されるのは仕方ない。

院生時代は研究に集中したいという思いばかりが募っていたし、時間さえあれば成果は上がるものと思っていた。ところがポスドクになって5か月、それなりに研究に時間を使える立場になったものの、思っていたほどのスピードで研究が進捗していない。一度リジェクトされたものや投稿寸前の原稿いくつかを完全にペンディングしてメインの大きな研究に資源を集中させていたのも原因なのだけど、それが出れば解決するというものでもないだろう。カメがアキレウスの立っていた位置に到達するときには、たぶんアキレウスはもっと先にいる。そこで教育業績についてもヘッジを広げようという話なのだ。

…こう書くと後ろ向きなようだけど、実のところ教養科目はずっと担当してみたかったのだ。自分がいちばん影響を受けた教員の方々は18-20歳くらいの頃に出会った先生方だったし、学部時代も教養科目がいちばん面白いと感じたものだった。じつのところ教員公募も教養部(みたいなところ)によく応募していたりする。そして、これからお仕事をさせてもらう大学にもささやかながら思い出がある。高校生のころ電車の中で酔っぱらいのおじさんとしばらくご一緒したことがあるのだけど、その方の息子さんがその大学に通っていて、おじさんがそれをとても誇らしげに語っていたのをよく覚えているのだ。…というわけでそのおじさんの信頼に恥じない講義をせねばと、気持ちをあらたにしているところなのだ。