ソーシャルフィルタリングという名の寄生
ソーシャルフィルタリングされた"質のいい"コンテンツだけを見ることで時間を有効利用する、という考え方がある。
グーグルは上のほうに出てくるサイトに重要なものが多い。ニコニコ動画は再生数の多いものを選べば外れが少ない。
受け手は何の気なしに受け入れているけど、実のところ、それは誰かが選別してくれた結果なのだ。
今人気のコンテンツも、さかのぼってみれば、それは一番最初に、誰も見ていない、海のものとも山のものともつかないなぞ動画をクリックした誰か、そしてそれに続いた人々がセレクトしてきた結果なのだ。(もちろんコンテンツの作成者が一番最初にくるわけだけど。)
人生の限りある時間を無駄にするかもしれない、冒険的行為(!?)。その行動は市場では評価されず、無償で買い叩かれてしまう。しかし一方で、そのおかげで多くの人が探索をせずに済み、時間を節約することができるという、社会的意義のある行為。
僕らはそれに寄生/ただ乗りしているにすぎない。
ソーシャルフィルタリングなんてかっこいい言葉使わずに、「自分は名も無きネットユーザーたちに寄生している」って考えるのが正しいのかもしれない。
以上、ちょっと飲み会で雑談した内容でした。
市場価値を持たなくても、大事なものはたくさんある。