地をはう大学院生→ポスドク→国立大特任教員→私大専任教員

はてなダイアリーから引っ越ししてきました。昔の記録です。

コミュニケーションコストがすべて・断絶を埋める作業

ある個人のした理解・判断について、その人自身がそれを真実であると確信できることと、他人を説得し、納得させられることの間には大きな断絶がある。それは個人に権力の集中したオーナー企業が集団統治のサラリーマン企業にスピードや長期的な戦略で勝る理由だろうし、様々な組織で現場に権限を与えたほうがうまくいく理由でもある。論文を書く苦労もこの深い断絶を埋める、その作業の部分に集中しているかなぁ、と思う。
 
たとえば、…自分の乏しい経験の中での話だけど、研究計画の申請書は普段考えていることをまとめれば2日で書けることもあるし、研究結果は出るものは2か月で出てくる。一方で、その結果から論文を書くのには2年、3年かかってしまうこともある。(自分の訓練不足もあろうが…、ある人が言うには、習熟した人でも半年ぐらいが理想となるラインらしい。もちろん、分野により差異はあるだろうけれど。)
その間なにをしているかというと…、多少の増減はあってもおおもとの結果が変わるわけではない。ひたすら、行間を埋め、論理の隙間を埋め、論考を積み上げる作業が延々と続く。結果をみれば一目瞭然…と自分では思うことを、ひたすら他人を説得できる文章にするために、時間を費やす。論理を積み上げては壊し、積み上げては壊す。賽の河原に石を積み上げているような、そんな気分になる行為。
 
結果として、投入される時間のほとんどは"コミュニケーションコスト"に割かれていることになる。もちろん、これは他者とのコミュニケーションだけを意味するわけではなく、自分の中の直感的な理解と、理性的な理解の間のコミュニケーションという側面もあるかもしれない。これがあまりにも時間を食うのに対し、結果や結論への影響が少ないものだから、これって本当に価値を生み出しているのだろうか、節約できないのだろうかと、疑問に思うこともある。
 
 
もしも前提となる知識や思考を共有する研究者が"クラスター"化していて、すぐに互いの結果を理解し、批判しあえるようなハイコンテクストな空間ができていれば、進歩は速いのかもしれない。一歩進むのに2年かかっていたのが、2か月で済むようになるかもしれない。そんな淡い期待を抱かないでもない。しかしその場合、仲間内で進歩したように見えても、その成果は普遍的に理解されにくいものであるし、保存性も低い。
 
あるいは、いずれ、脳を電気的に接続して、頭の中の概念を伝達・保存できるようになるかもしれない(言語であれば長々と論理を積み上げて伝えなければならないような、そういう概念)。そうすれば、飛躍的にコミュニケーションコストは下がるだろう。そうなれば、紙に(精緻な論理で)書かれて保存されていた論文は、いずれ誰かに読み上げられて脳内イメージに変換されて保存されるようになるのではないか。太古の口頭伝承が、紙に書かれた文字に変換され、(抑揚やリズムなど、伝え手が伝えるために努力して作り上げたであろう情報が)消えていったように、論理というものは価値を失っていく…。…修士課程のころ、そんなこともあるかもしれないですね、という話を新幹線の中でうちのせんせいにしたことがあったのだけど、彼は言葉の力を信じている人のようだった。
 
 
なにはともあれ、一つ言えるのは、予見できる未来において、言語と論理を用いたコミュニケーションはしばらく栄えそうだということ。僕らは今を生きていて、今を生き抜くためには今のシステムに自分を合わせていくしかない。また、実現可能性の低いことに考えをめぐらせることの意義は、当然ながら大きくない。変なたとえ話だけど、古代の学者がアレクサンドリアの大図書館の中身を戦災に備えてクラウド化して保存したいな、なんて思っていたとしても、それは妄想で終わってしまっただろう。それと同じで…。
 
現状では、ひたすら論考を重ねることは、スピードが要求されず、なおかつ正確性が要求される学術論文では必須な作業なのかもしれないなぁと思う。岡目八目というか、他人の論考をみることで、そのことを実感させられることもよくある。
直感的な理解で確信したところで、あとから実は間違いでしたということもよくあること。論理的に他人を説得できるか否かの苦労は、事実を担保するための、現状では最善といってもいい手法なのだろう。
 
そもそも研究という行為は、誰も言ったことのない新しいことを提示するわけで、その正当性を証明する義務は提示者にある…ということもよく言われる。確かにもっともな話。
http://d.hatena.ne.jp/next49/20090710/p2
 
今年のノーベル賞の人の話だけど、シェヒトマンさんの準結晶を報告した最初の論文の投稿先はリジェクト、次の投稿先でも掲載まで2年かかったとか。なにかを世の中に出すって、そういうものなのだろうなぁ、と思いつつ…。小さな研究であってもこつこつ頑張らねばならんのだろう。
 
 
PS …このブログ、じつは月に一回更新するのを目指していたのだけど、ごたごたした日々の中、いつのまにか3か月が過ぎ去っておりました。早いものです。がんばらなば。