地をはう大学院生→ポスドク→国立大特任教員→私大専任教員

はてなダイアリーから引っ越ししてきました。昔の記録です。

グローバルCOEプログラムのはなし2

昨日のつづきです。

このように多くの意義のある事業ですから、2009年11月に民主党が行った事業仕分けの際は、当然ながら、大変な反発が起きました。
オフィシャルなものとしては、全GCOE事業拠点のリーダーが集まって声明を発表しています。
 
ところが一昨日、2009年3月号のWEDGE(新幹線の車内誌)に構想日本加藤秀樹氏(現行政刷新会議事務局長)が「麻生総理、一般会計の埋蔵金12兆円を景気対策に」という題の文章を寄稿しているのをみつけました。構想日本とは事業仕分けという仕組みを広めているシンクタンクで、加藤氏は大蔵省出身の方です。
その中に、2008年に構想日本河野太郎議員を中心とするチームが、「政策棚卸し」と称して事業仕分けを試験的に行ったということが記されています。その結果のひとつとして、グローバルCOEプログラムも「今のままなら不要」と判定されています。
文章を引用しますと、「世界最高水準の研究拠点作りをするという目的が掲げられているが、実際には150もの研究拠点を対象とする方針で、バラマキになっており、しかも実質的には就職先のないポストドクターに対する手当てになっている実態が指摘され、これも「今のままなら不要」とされた。」とあります。
 
ネットで検索するとこういう文章もあり、引用しますと、
「予算の使途がポスドクリサーチアシスタントの雇用というのでは、弱者救済のバラマキ発想で大きなお世話である、とかなり過激な発言が飛び出した。」「ポスドクの雇用が深刻ではあるにせよ、国からの救済を待つという発想自体が、競争環境にさらされない若者を助長するという見方は、一面の真理をついている。むしろ、大学トップの意識改革をこそ進めるべき、という発言は、このような場でこそ出てきた意見であろう」とあり、このような議論が中ではなされていたようです。
 
研究者への罵詈雑言が飛んだ昨年の事業仕分けを彷彿とさせます。
せっかくなのでいまさらながら個人的に反論・説明しますと、
・150拠点という数については、世の中には数限りない可能性を秘めた学問分野があることを考えれば、多いとはいえません。たとえば文科省科研費でも、研究分野は278の細目(「天文学」「物性物理」など)に分けられています。
・弱者救済という考え方についても、ポスドクは(大学院生も)現に研究の主力として働いているわけで、その報酬を救済ととらえるのは間違いでしょう。なにより、今まで「強者」として扱われ、諸外国であれば給与が出る労働を無給でこなしてきたという歴史があります。おもに富裕層が研究者予備軍であった時代、彼らは無給助手という職で研究をしていました。日本が貧しかったころの伝統が続き、未だに世界的な水準に追いついていないだけではないでしょうか。
・「国からの救済を待つ」「競争環境にさらされない若者」とありますが、今は過当競争でしょう。そもそも彼らは、"科学技術創造立国"という政府の打ち立てた理想のもと、そこに自分の人生を捧げようと集った若者ではないのでしょうか。日本の高等教育への公的支出がOECD平均の半分、基礎科学系の大学教員数で米国の1/10という現状を変えていくんだと。しかし政府のやったことは、科学技術創造立国というかけ声とは裏腹に、大学教員の採用削減でした。その代替の労働力として増やされたのがポスドク研究員なのですが、なぜかこういう議論の場面で彼らがふらつき者扱いされていることは理解に苦しみます。
 
 
「政策棚卸し」については当時新聞報道もされましたが、不覚にもあまり記憶していませんでした。当時修士課程の院生だったこともあり、あまり気にしていなかったのかもしれません。おそらく、大学関係者はこのときに十分なアクションをとるべきだったのでしょう。
 
この「政策棚卸し」では、スパコン日本科学未来館の構造についても、昨年の事業仕分けとまったく同じような結論が出ていました。つまり、昨年の事業仕分けの結果は、短時間で得られた結論ではなく、構想日本など財務省系のひとたちにとっては十分に練られた結果であるということです。おそらく一部については、かなり根の深い誤解に基づいた結論である可能性が高いでしょう。
 
財務省の人たちが支出を削減しようとするのは当然で、彼らの職務でしょう。しかし長期的な視野でこの国を育てていくには、何かしら別の視点が必要ではないかと思います。文科省や大学に自主的な財源があれば、と思うのですが。このへんはおいおい話せたら、と思います。
 
…なんかこんなこと偉そうに書いてたら恥ずかしくて大学行けなくなりそうですが。